メッシュテクノロジーの歩み

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NBCメッシュテックの前身である日本篩絹株式会社は、日本の篩絹の国産化を目指して昭和9年に誕生しました。ここから、私たちメッシュテックのテクノロジーの歩みがはじまります。

製粉に使うふるい絹は、輸入に頼らず国産化したい。

昭和のはじめ、日本は世界一の絹生産国であり、また絹織物の技術水準も高い国であったにもかかわらず、当時は製粉業者が使用するふるい絹のほとんどがスイスから輸入されたものでした。国産品愛用が世論となる中、国策からも「ふるい絹の国産化を進めなければならない」という見地に立ち創設されたのが当社でした。ふるい絹の国産化は、良質の小麦粉生産に資するとともに、将来的には輸出も行うことができる事業。政府からの生糸の払い下げ、試験研究を繰り返し、当時の創業者たちは工場化を実現しました。

戦禍の中、成長・縮小を繰り返しながら乗り越える。

輸出や工場の充実強化を進めている最中、中国の北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突。日中戦争の勃発、拡大は当社にも大きな影響を及ぼしました。従業員の中から戦地に動員されたものが相次いだばかりでなく、生産面でも制約を受けるようになったのです。昭和14年ごろには、なんとか生産は軌道に乗り、製品の優秀性が認められて海外からの引き合いも次第に増えました。しかし第2次世界大戦の日米の開戦以降、戦争に直接関係のない産業は、縮小または軍需産業への転換を強いられていくのでした。

合成繊維によるふるいの開発と、製粉以外の分野の開拓。

戦後はGHQの統制も受けましたが、製造禁止令や輸出価格の統制が撤廃されて以降、小麦も自由販売となり製粉業者間の品質競争が激烈になりました。ふるい絹にも高メッシュで良質なものが求められ、その要求に当社は確実に応えていきました。また、戦後の産業発展に伴い、素材開発の要求も高まり、東洋レーヨン株式会社(現 東レ株式会社)とともにナイロンメッシュの開発の着手。ナイロンの製織が完成したころには、各種工業資材として販売体制を整えるため、さらにポリエステルやポリエチレンによる製織にも着手し成功させていったのでした。

高度成長に伴い家電・自動車産業へのスクリーン印刷用資材の進出。

合成繊維製品による合成樹脂成形加工品がストレーナーとフィルターの分野に進出し、機械製品の部品や水産用、医療用など多方面にわたって使用されるようになりました。またスクリーン印刷への需要が高度経済成長の本格化とともに伸び、家電や自動車産業の発展に貢献してきました。プリント配線やコンピュータ関連の需要の高まりとともに、さらに高メッシュの開発が要求されるようになり、ステンレス性能を遥かに超えるVスクリーンも実現しました。

環境と共存する新しい分野のメッシュへ。

私たちの前には依然として環境問題、医療問題などさまざまな社会問題が山積しています。日本の産業を支えてきた私たちは、これらの課題に果敢に挑戦していくことがテクノロジーの進化と社会貢献を両立させる道と捉えています。メッシュの織・加工技術、スクリーンの印刷はもとより、ナノテクノロジーなど先進の技術を取り入れた新たな分野への進出を模索し、人びとの快適で持続可能な生活を支えてまいります。